悲しみは悪い感情?

悲しみ=悪い感情?

「悲しみ」は一般的に悪いことの代表として挙げられることが多いが、果たして、本当にそうなのか。「あの人の悲しむ顔をもう二度と見たくない」だとか、「もう二度と悲しみたくない」だとか、そうやって「悲しみ」を遠ざけるが、悲しい時は涙が出る時もある。涙はストレスを和らげるが、悲しみはストレス?なのか。

「悲しさ」は過去と共に

悲しむ瞬間は人それぞれだと思うが、私は父が亡くなった時、祖父母が亡くなった時、悲しみで涙を流した。悲しい感情は過去と共にある。悲しいと思った時、脳内では、その人との思い出がずっと繰り返し再生されていた。「もう会えない寂しさ」「もう味わえない寂しさ」不意にやってくる不安や悲しさに涙した。

他にも悲しいと思ったことはある。罵詈雑言を浴びた時、誰かと別れるとき、待ち人が自分のところにやってこなかったとき、悲しみは、痛みを感じた時にやってくる。

悲しみは長い間、感情に刻まれる。「悲しい思い出」は今でも鮮明に思い出される。

悲しみを語ると共感される

初対面の人と雑談する際に、「悲しみ」は強みになることが多い。たくさんの悲しみを持っていると、人は哀れむ。哀れだと思われると、親近感を持たれる。「ああ、私だけではないのか」と。そして、相手も同じように悲しい過去を語ってくれる。そうやって共通の「悲しさ」を共有して、「知り合い」になっていく。

「悲しい」という「悔しい」でも「寂しい」でもない感情は、なぜ他人の共感を生むのだろう。

例えば、試合に負けて「悔しい」だとか、試験に合格できなくて「悔しい」のは、個人で感じる部分が多い。次は勝ちたい、次はうまくやるなどの感情も独りよがりなものが多いように感じる。

「寂しい」はどうだろうか。個人的に「寂しい」からは孤独を感じる。一人で寂しいのだ。誰も来てくれない。誰かが来てくれると寂しさは解消する人が多い。誰かが賛同してくれたり、一緒に考えたりしてくれると寂しさは紛れる。

「悔しさ」と「寂しさ」は一人で思う感情であることが多い。

「悲しさ」はどうだろう。例えば目の前にあなたのお気に入りの食べ物があるとしよう。あなたはそれを何時間もかけて作ったのだ。この日のために仕事を頑張り、ようやく食べることのできるあなたの好物が目の前にある。

さて、その食べ物が、何かの拍子に床に落ちてしまったらあなたはどう感じるだろうか?

おそらく「悲しい」と思うはずである。その「悲しさ」はあなた一人のものにもできるし、後の話として、他人に共有することもできる。あなたの脳内に「悲しい」出来事として刻まれたはずである。

悲しみは悪い感情?

悲しみは悪い感情なのだろうか。もうあの人に悲しみを味合わせたくないというのは、本当にそうなのだろうか。一部分は、そうだと思う。自分が死んで愛する人に悲しんで欲しくないというのは、そうだと思うから。しかし、悲しみは、今回紹介したように、「思い出」となり、「思い出話」となるのである。寂しさや悔しさが一人よがりな感情なのに対して、悲しみは誰かと共有しやすい。だから、悲しみは悪い感情と決めつけて悲しまないようにと過度にきを使う必要はないのではないかと思うのである。

悲しませるのは、よくはないかもしれないけど、自分で悲しい体験をすることは、人生において花を添えてくれるものだと思う。

作成者: nakamura_nb5

34歳  中学校教員 趣味:読書 好きな食べ物:チョコ、納豆

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